まんなか

こころの真ん中に届くこと、書きたい。

思いがけない贈り物

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*写真はお借りしたものです。

 

休日なのに今朝は5時頃から目が覚めて、お布団の中でスマホを眺めている。

そしたら驚いた。

はせおやさいさんに記事を言及していただいたのだ。

hase0831.hatenablog.jp

 

わたしの気持ちは冒頭に貼ったこんな色になっている。桜色。

うれしい。うれしい。

なんという、思いがけない贈り物だろう。

自分が書いた記事に、スターやコメントやブクマをいただくのはうれしい。取り上げていただくのはなおさらだ。

この記事は書いてから公開することを少し迷った。後半自分のいやな体験とか書いてるし、まなつさん、ほとけさん、はせおやさいさんにどう思われるだろう?と心配だったのだ。

とくにまなつさんのことをたくさん書いたのでまなつさんが気を悪くされたら申し訳ないな、と思っていた。しかしスターを下さったのでほっとした。まなつさんありがとうございます。

公開してよかったです。

 

話を戻す。

はせおやさいさんのご紹介は、あんまりびっくりしてぼうっとしたが、ああでもそうだった。はせおやさいさんは、こんな風にぴゅんっ!と素晴らしいスピードで、ひょい、となんのてらいもなく、わたしが思っている様々な壁を、越えて来られる方だった。と我に返って納得した。前に宇多田ヒカルのアルバムのことをブクマコメントした時も、光速でお返事をくれた。ツイッターでもご紹介してくださったが、ツイッターをしていないわたしはどうしたらいいのかわからなくて、お礼が言えなかった。改めていいます。あの時はありがとうございました。

 

インターネットは広大な海で、わたしは無数に浮かぶ小さな瓶の1つだ。それなのに取り上げて中の手紙を読んでくれる人がいる。そのことに、とても感謝しています。

はせおやさいさん、ありがとうございます。

読んでくださる皆様、ありがとうございます。

 

 

はせおやさいさんの記事で感銘を受けたり、好きだと思うものはたくさんある。「理由がなくたって愛されていいのだ」もそう。(リンク後で貼ります)

偶然今年は20年ぶりくらいにほぼ日手帳を買ったのでドキドキしながら読んだ。ほぼ日サイトは読み始めると止まらないので、時間のある時ゆっくり訪れたい。いや、そんなこと言わずにちょこっとのぞきにいこうかな。

 

ほぼ日手帳は昔張り切って買ったのに分厚いのを使いこなせなかったのと、増田セバスチャンのデザインに魅かれてスリムタイプを買った。ペンホルダーがないのが不便なのでなんとか工夫しようと思いながら日が経っている。

わたしの今年の手帳、メインはミドリの小鳥手帳を使い、いろいろ書き込んでいる。こちらは実用的な本来の手帳として使い、ほぼ日手帳は、心をそのままメモする手帳にしようと思っている。短歌でもいいし思いつきでも感想でも感情でもなんでも。薄くて軽いのでエプロンのポケットにも入るし、カバンも選ばない。

よし決めた。今日はこの手帳に書き込もう。

今日はうれしい、おもいがけない贈り物をもらった日。って書くんだ。

新しい手帳に初めて書くことが、こんなにうれしいことで、うれしい。

 

 

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ある晩の酔っ払いが受けた祝福

かにちゃんさんのブログを読んで思い出した記憶を書く。

 

若い頃の私は、お酒が好きで、仕事でも趣味でもけっこう飲んでいた。今はほとんど飲まない。それでも味は好きだし、ごくたまに家や外で、家族や気のおけない友人と少しだけ飲むのは好きだ。

 

さて、若き日の私、はその晩も仕事を終えて上司や仕事のチームの方々と飲んでいた。まぁだいたい4軒目くらいだったと思う。いくつもある上司の行きつけのお店で、気づけば初めて会ったヤクザと銀座の恋の物語を歌っていた。そこへ至ったのはちゃんと理由があるのだがここには書かない。

歌も歌ったことだし、さんざん飲んだし、明日も仕事で、もう帰ることにした。みんなに挨拶をし、店を出た。上司は私を心配してくれて、だいぶ飲んでるよな。Oさん、悪いけど駅まで送ってやってよ。と一緒に人をつけてくれた。

いやいやいやいや、大丈夫ですから!Oさんいいですよ〜。と、私は言った。酔っ払いの大丈夫ほど当てにならないものはない。なんの根拠もない。私はご機嫌だったがもはやまっすぐに歩けなかった。Oさんは私の腕を取り、しっかり駅まで送ってくれた。ああ、Oさんがいてくれてよかった。

 

Oさんは当時の私より20歳ほど年上の男性だった。ほがらかで愉快な、苦労も楽しいことも知っている、優しい、仕事のできる人だった。中途入社の私を幾度も助けてくれた。仕事の大先輩としてとても尊敬していたし、頼りになる親戚の叔父さんのように、私は慕っていた。恋愛感情はお互いに一切なかった。Oさんはたぶんどんくさい姪っ子の面倒を見るような感じでわたしに接してくれていたのではと思う。

 

しかしながら、若い女と妙齢のおじさんが寄り添うというか体を支えて歩いているのである。恋人あるいは不倫カップルに見えなくもない。

 

Oさんに支えられながらふらふらと通りを歩いていると、背中から、「お幸せにー!」といきなり声をかけられた。振り向くと、ニコニコしながらなんともいえない男性が手を振っている。なんともいえない、というのは、見知らぬ人なのにその好意のむかってくる感じがまっすぐで邪気がなく、ほんとうに祝福してくれているのが伝わってきたからだ。ライスシャワーあびるときだってもっとドロドロしてるだろう、と思わせる爽やかさだった。わたしは酔っ払った頭で、ああいいものをいただいた。ありがとう!と思った。

 

Oさんはふふ、と笑って、「あの人おかまなんだよ。お店やってんの。」と私に言った。そうなんだ…とわたしはなんとなく納得した。そして嬉しくなった。その晩起きたこと、仕事に就くことができたこと、仲間に恵まれてること、いろんなことに感謝する気持ちがぶわっと押し寄せてきた。

 

ただそれだけの記憶である。わたしはその何年か後に仕事を辞め、お互いに何度か引っ越しをして、Oさんとの年賀状のやり取りも今は絶えてしまった。

 

それでもあの晩の記憶は、今でもわたしを温めてくれる。Oさんはきっともう覚えていないだろう。

いつかつてをたどって、Oさんの住所がもしわかったら、葉書を書きたいなと思ったりもする。

あれから時間もたちすぎて、いろんなことがありすぎて、何を書いたらいいのかわからないけれど。

Oさんに、そしてこれは叶わぬ夢だけれど、あの男性にありがとうを言いたいのは確かだ。

淡いから

このところ、かにちゃんさん(id:kanichantan)のブログを読みふけっている。すごく面白い。

つかみはオッケー!的なタイトルのつけ方とか、テンポ良く読みやすい文章とかうまい!んだけど、何よりも中身にすごく惹かれる。わかるわかる!と首を縦に振りまくってもはやヘドバン状態だ。

 

好きな記事たくさんあるんだけれど、中でも、わたしのファーストキスは女の子だったのかもしれない、が好き。

http://kanichan.hatenablog.jp/entry/2016/09/22/224024

 

百合っぽいから好きなんじゃない。(私は異性愛者だし)。

この同性への思いの曖昧な感じ、高校生の頃の好きとか言っても自分自身がつかみきれてなくてふわふわしている淡い感じ、とてもわかって、切なくて好きなのだ。

こんな風にちゃんと的確に書けるなんてすごいなぁ!と感嘆している。

 

淡いからこそ、覚えている記憶ってある。淡い、という表現は適切でないかもしれない。特に大きな事件とか重大な決意をしたとかいうわけではないんだけど、なんとなく忘れがたい記憶。なんでもないものだけれど、なんかしら大切で。そんな記憶が集まって自分はきっとできてて、それはどこへも持っては行けない。ただ私とともに在り、私が死ぬときは一緒に消えるだけ。

 

でもだからこそかけがえがなくて、そしてそんな記憶はみんなそれぞれ持っている。そういうのを書き留めたり、人が人知れず大事に思っていることをさりげなくそっと尊重できたらいいなぁ。そんな人になりたいなぁと、がさつな私は思う。

 

そんなことを思わせてくれた、かにちゃんさんに感謝。かにちゃんさんありがとうございます。これからもブログ読ませて頂きます。

 

 

 

 

見かけと中身と好みの話

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*この写真は、ブライス人形の公式紹介写真をお借りしたものです。

ちょっとしたことで、印象が変わるなぁと思い転載しました。

 

恥を忍んで書きますが、わたしはXSからXLサイズ、日本サイズなら7号から17号、アメリカ、ユーロサイズで0から16の間を行き来したことがあります。

食いしん坊でお酒も甘いものも好きで運動は嫌い。仕事は朝から深夜まで。疲れたりイライラしたらとりあえず何か食べる。そんな生活をしていた頃、どんどん太り、仕事を辞めたら辞めたで人目を気にしないでいい生活になってさらに太った。それがXL&17号時代。

これではいかん!と意を決して食べたものと運動と体重の記録をつけ、食事制限と運動をして、3年かけて20キロ痩せた。

XSやサイズ0のスリムフィットジーンズが履けるようになり、トップスもものにより7号が着られるようになった。身長がまあまあ高く骨太なので華奢になるのは無理だったけど。

 

減量してわたしの見かけはかなり大幅に変わった。人に痩せたね!どうしたの?と言われ、ほめられたり羨ましがられたりした。もちろんわたしも嬉しかった。

大きいサイズコーナーや通販に頼らなくていい。ふらっと店に入り好きな服が着られる。避けていた服や髪型にチャレンジできる。太っているという劣等感に苛まれない。体だけでなく心も軽くなった。

 

その一方で、わたしは太っている人に対して辛辣になった自分を感じていた。自分よりも太っている人がひどく太っているように見えるようになったのだ。

自分が太っている時には普通とか痩せているように見えていたのに。そしてそういう人たちを意地悪な目で見ることや、気にすることはなかったのに。

どうして努力して痩せないの?そんな目で見るようになっていた。

わたしは強気になり、傲慢になり、嫌な奴になっていた。そしてその一方で、そんな自分にうんざりもしていた。痩せることがそんなに偉いのか?じゃあ元々痩せてて太らない人は一番偉いの?太ってるってそんなにいけない、ダメなことなの? 

そんなわけないじゃん…

なんでそんなに人の目を気にしたり、人の見かけにいちいちうるさく思うようになったの?そんな人間になりたかったの?

 

そして、痩せたけど、それから先どうしたい?というのが、わたしには見えなくなっていた。

そして、太っていた頃のわたしをからかいバカにしていた人、痩せたことを一番ほめてほしかったひとは、わたしをほめてはくれなかった。

わたしはがっかりした。

痩せても嫌な奴になったらしょうがない。そして、わたしが太ろうが痩せようが、わたしが一番認めてほしかったひとには興味のない話だった。その人はただその時に言いたいことを言っただけなのだ。単にちょっといじめてみたかったのかもしれない。

あ、からかうとかいじめるとかは、相手がそうしたいからというのがほとんどだと思う。だから、そんな目にあっても悩まない方がいいよ!

この話は別に書こうと思います。

 

そしてわたし自身の根本的な性格、本質は、太っても痩せても変わらなかった。そりゃそうだ。

 

それからはじわじわとリバウンドして、MサイズになりLになりLLになり3Lになり、ダメだ!とまたがんばってLになりMになり…今現在はといえば、秘密。

レッドゾーンになったので減量中。

今年の夏はビキニの似合う体になって着る!(昨年は似合わなくて着られなかった。)

わたしはビキニが好き。痩せてる時も肥えてる時も。そのことだけは言っておく。(何様だ!?苦笑)

そして秋冬にはとっておいてあるサイズ0のお気に入りジーンズが履けるようになるつもりである。もし今年そうなれなかったら、来年でいい。焦りはしない。急いで痩せても健康を損ねたりまた太ったら意味がないから。わたしはわたしのベストな身体を模索して、時間がかかっても努力する。そしてその体になる。

 

しかしそれはそれとして、太っているとか痩せているとか、綺麗だとかそうじゃないとか、おしゃれだとかダサいとか、見かけを気にしすぎることはつまらないと思う。見かけは大事だけれど、所詮見かけにすぎない。その人の本質や価値は別にある。当たり前のこと。

健康状態と、自分自身に対するセルフイメージが、太っていることで悪くなってしまい、日々悲しくて俯いて生きているなら、痩せた方がいい。そうじゃないなら、そのままでいい。太ってようが痩せてようが、人としての価値や尊厳に何の関係もない。

他人に何を言われようが、いちいち気にしてもしょうがない。

 

そして、好みもまた人さまざまだ。痩せたら好かれるというわけでもない。痩せたら好かれて太ったら嫌いになるような人から好かれてもしょうがないんじゃないか、とわたしは思う。しかし好みばかりは如何ともしがたいので、痩せてる人が好きな人を好きになったら、まぁ痩せるしかないかもしれない。

 

わたしはイケメン興味なしなんだけど、美人興味なしという人もいるだろう。人が人のどういうところに魅かれるかは千差万別。こういう人は一般的に好かれやすい、という傾向や平均値を出すことはできても、わたしが好きになる人や、わたしを好きになる人が、それに当てはまるとは限らない。

 

死ぬまで生きなくてはならないから、自分の見かけと中身、好みとはずっとおつきあいしていくことになる。

自分が自分を一番知っているとは限らない。わたしは変化しながら、もっと自分を知りたい。そして自分をぴったりと一致させたい。望む自分に。自然に違和感なく。見かけも中身も好みも。年齢をきちんと重ねながら。こんなの自分じゃない、と思いながら生きたくはないのだ。

それはつまり生き方の問題になる。

まずは自分で自分を決めつけず、縛り付けず、人のことも決めつけず、縛り付けないようにしたい。

いろんな縛りから、固定観念から、自由になりたい。そう思う。

 

 

 

 

 

女が女を愛する時

まなつさん(id:dokodeneru)の、「今夜、どこで寝る?」というブログと、ほとけさんのムンク「叫び」アイコンのブログ

http://hotoke-no-face.hatenablog.com/

を、

はせおやさいさんのおすすめ記事で知り、読んでいる。

http://hase0831.hatenablog.jp/entry/2017/01/27/114519

 

まったくちがうブログなんだけど、ふたりとも女性で、同性として、同性への目線がどこか共通しているように思う。わたしも女性であり、そのことに共感を覚える。ただ勝手に、覚えている。

共通とか共感とか、大ざっぱで雑な言葉だ。違う人間だから、そんなに一緒の気持ちになったり理解はできない。とはいえ、案外単純に簡単に、スッと通じる瞬間があることも知っている。それが思い違いであるとしても。似て非なるものだとしても。

 

同性への目線、それは、安心感と憧れと好意で、すこし同性愛的なものだ。

まなつさんは、同性愛者であることを公言しておられる。かつては異性を愛したが、自分の性向を理解してからは、同性と恋愛をしている。

ほとけさんは、異性愛者であるとブログに書いてある。しかし、美しい友人と一緒に行動するときのドキドキや憧れを書いた文章は、ちょっと同性愛的だ。そしてその気持ちは、わたしにもあるのでよくわかる。わたしは異性愛者である。

 

なぜ同性を好きになるのか。それは個性であり、個人的嗜好なのだろうけれど、女性に関していえば、男性が怖いとか嫌だというのはあると思う。確実に一因として。

まなつさんは実父に捨てられ、義父に暴力を受けていたという。

どんなに怖く嫌だったことだろう。

男に痛めつけられたら、男を愛することは難しいと思う。ごく普通に怖いし身がすくむことだろう。そんな男ばかりでないのはわかっていても。

男に暴力を受けた人が全て同性愛者になるという話ではない。でもなりやすくはなると思う。その気持ちはとてもよくわかる気がする。

とくに父親や義父や兄弟など家族に暴力を受けた場合は傷が深いだろう。その間、母親は何をしていたのかと思う。守ってくれなかった女も嫌いになると思うが、とりあえずは直接自分に暴力を振るったり抑圧した男という生き物そのもののことが、心底嫌になるのではと思う。

 

わたしは中学生の頃、知らない男に、暴力を受けた。傷害及び暴行未遂、未成年に対するいたずら未遂、に該当すると思う。恐怖で固まってしまったが、なんとか絞り出すように声を出し必死で抵抗したので、犯人は逃げた。レイプや性的ないたずらは免れた。

大怪我もせず、腹を殴られたくらいで未遂だったので大事に至らなかったが、警察に通報し、すこし学校を休んだ。

のちに犯人は捕まり(犯行を繰り返していた)、面通ししますか?と言われたが、断った。会うのは怖いし、思い出したらどうにかなりそうだったからだ。もう一度思い出すくらいならわたし自身が消えてしまいたいと思った。

未遂ですらそう思うのだから、されてしまった人はどんなに辛いだろう。

 

そういう目にあってからは、父親もクラスメートも見ると吐きそうになった。男が嫌になってしまった。問答無用で。

そして自分自身が女であるということはどういうことなのか、折につけ考えてしまうようになった。

それまでは自分が女であるということは気にしてなかった。わたしは眼鏡をかけた地味な中学生で、家も貧しく、身なりを可愛くしようとかそういうのとは縁がなかった。

それなのに、そういう対象になる、ということは、わたしがどんな人間であれ、性犯罪をするような男にとっては女という記号であればどうでもいいのだ、と思った。わたしが女で、たまたま1人で行動していて、(運動が苦手なわたしは校内マラソン大会でビリになりたくなかったので早朝ジョギングをしていた。)弱そうだったから狙ったのだ。そう思った。

ものすごく悔しかった。

父親に、被害にあったことは犬に噛まれたと思って忘れろ、と言われたのもショックだった。もののたとえで、言いたいことはわかるけれど、犬に噛まれるのとは全然わけが違うことだ。でもきっと男である父にはわからないんだろうなと思った。

 

新聞やメディアでレイプとか痴漢とかの文字を見るのも、漫画や小説や映画などでそういうシーンを見るのも、耐えられなかった。今でもそれに近い部分はある。

異性同性に限らず、人が暴力や脅しで痛めつけられることは断固許せない。フィクションだからと許容できない。現実ならなおのことだ。

 

話を戻す。同性が同性を傷つけることだってもちろんある。でもそこまで思ったら、絶望が深くなり、生きていくのが辛くなる。

とりあえず、女は女をレイプしない。殴らない。バカにしない。女は優しい。女同士だから分かり合える。そう思う方が生きやすい。わたしは。

必ずしもそうとは限らないのだけれども。女が優しいなんてとくに。優しい人もいれば優しくない人もいる。それは男女同じことだ。

 

話がずれてしまうのだが、見かけを重視されるのも女性がはめられる枷だ。まなつさんはなりたかった仕事に努力してやっと就き、がんばっていたのに、同僚女性に陰でおっぱいちゃんと呼ばれていることを知り、会社を辞めた。その気持ちは、すごくわかる気がする。

百歩譲って、相手は褒めてるつもりだったのかもしれない。羨ましかったのかも。でも、そんなの知るか!である。

見かけで呼ぶな。判断するな。

たとえばおデブちゃん、ハゲくん、と呼ばれたら誰でもムッとするのではないだろうか。では、スマートちゃん、フサフサくんだったら喜ぶか?そんなことないと思う。体のパーツ、見かけで呼ばれて嬉しい人がいるのだろうか。いや、いない。相手に悪気があろうがなかろうがそんなことは知らない。失礼だと思う。

わたしはもし体のパーツや見かけで呼ばれたらその人からはスーッと離れる。軽蔑する。

 

人を見かけで判断し、パーツであだ名をつけるのは幼稚だ。いい大人なのに信じられない。そんな人と一緒に働くなんて無理だ。

人はその行い、言葉、思考、生き方で判断されるべきではないかと思う。

性別人種年齢貧富生まれ育ち家業職業体格顔能力思考好き嫌い、みんな違って当たり前。もし全員が同じだったらそれはもう人ではないだろう。

 

男が女を愛する時、という古い有名な歌がある。タイトルはそのもじりだけれど、わたし自身は、愛する対象が男でも女でも、気にしない。同性愛者を差別する人がいるけれど、そんなの人の自由でしょ!ほっとけよと思う。

ともかく愛する対象があるのはいいなと思う。なんなら人間でなくても、かまわない。物事でもいい。せっかく生まれてきたんだから、わたしはいっぱい愛して、生きていきたい。

 

 

 

 

 

川辺のダイナー

いきなりですが、好きなお店をご紹介します。「ほしいぬ」ブログでも以前書いた気がする。でもいい。好きだから!

年に数回行きます。好きなのに通えないところが悲しい…

お店は、片瀬江ノ島の川辺にある気さくなおいしい気持ちの良いダイナーです。最寄り駅は湘南モノレール片瀬江ノ島または小田急片瀬江ノ島駅です。

 

店の名は、

ディエゴ・バイ・ザ・リバー。

お店のホームページはこちら。

http://www.bytheriver.jp

 

わたしは忙しい&調子が悪いと太るのですが(苦笑)、忙しいのは山場を迎えているものの、どんよりやらイライラやらが底を打ち、リズムを取り戻して適正体重モードになってきたので、家族でおいしいものを食べに出かけました。

 

ここはハンバーガーがおいしいお店なのですが、だいたい何を頼んでもハズレはありません。てきぱきと親切な客あしらいも好きです。肩のこらない雰囲気も。

自家製ハンバーガーはたっぷりのフレンチフライつき。950円。

そして、ランチタイムはサイドメニュー以外のすべてのお料理にスープとしっかりと濃くおいしいコーヒーが付きます。

ハンバーガーには、チーズやアボカドもそれぞれプラス100円で追加できます。

 

今日は久しぶりに一杯だけお酒を飲みました。大好きなモヒート。キューバはいつか行ってみたい国の1つです。

このお店のモヒートは、クラッシュアイス、フレッシュミント、カットライムがたっぷり入ったとても爽やかな一杯です。

くぅ〜幸せ!お酒2ヶ月ぶりくらいかな?(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

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ハンバーガーはこちら。中はひきが強く表面はパリッとしたバンズに旨味がぎゅっと詰まった分厚いビーフハンバーグ、トマト、紫玉ねぎスライス、ロメインレタスケチャップ。フレンチフライは皿から溢れんばかりのたっぷりさ!塩が適度に効いており、ビールがほしくなります。笑

かなりのボリュームなので、2人で1つをシェアし、デザートやサラダなどを頼むのも良いかもしれません。

 

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今日わたしが頼んだのはこちら。チキンオーバーライスです。

…が、写真を撮るまもなくぱくついてしまったので、お店提供の写真です。しかしこれより実物の方がもっともっと美味しそう&美味しいのです!

ターメリックライスにこんがりと揚げ焼きしたスパイスチキンと生野菜をどっさり乗せ、マヨネーズ的なソースがかかっています。バランスの良いおいしさ!今日はたっぷりのパクチーが嬉しかった!大好きな一皿です。

(なぜだかわかりませんが、このところパクチーに恋しています。ペヤングパクチーMAX焼きそばにまで手を出す始末…)

 

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そしてこれは家族が頼んだ新メニューのパスタ魚介のオーロラソース。 トマトクリームソースにフランベしたパリッと香ばしいエビや魚介の旨味がたっぷり。これがもうもう!美味しくて!次回はこれにしようかなぁと思いました。

 

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客あしらいと居心地の良いお店なので、モリモリ食べてサクッと観光に出かけるもよし、デザートや飲み物を追加しておしゃべりに花を咲かせるのも良し。です。

テラス席なら、心地よい川風も吹いてきます。お天気の良い日ならぜひ。少しくらい寒くてもブランケットを貸してくれます。

 

これは、川にいたかいつぶり。小さくてごめんなさい。

潜るのが得意な黒い帽子のキュートな奴です。みていて飽きません。

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今日は行けなかったけれど、江ノ島では2/19までライトアップやショーの催しもしています。車で江ノ島は非常に道が混むので、電車で行って、島に渡る手前の片瀬江ノ島付近を散策してみることをお勧めします。

 

ま、このブログきっと世界で3人くらいしか読んで頂いてないですが…

お店が混みすぎるても困るので、ひっそりとご紹介いたします。

 

 

 

 

波と私

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私はそこそこ海に近い場所で生まれ育った。電車の最寄り駅からは道路を挟んで向こう側に海が広がっていた。

自宅は高台にあったが、風向きにより潮の香りがした。

そのせいか、山よりは海の方が親しみを感じる。また、山と海に囲まれた街だったので、平野部が苦手だ。

 

わたしは出産経験があるが、陣痛は波だと思う。痛い最中はそんなこと思いもしなかったが、今になって振り返ると、あれはまさに波だった。強い痛みは強い波。引いた時にほっと一息つき、また次の波に備える。波の間隔が規則正しく狭まってきて、津波のごとく有無を言わせぬ圧倒的な力となり、出産に至る。

 

他にも波に例えられることはいくらもある。愛し合う時の快感も波だし、自分の体調や気分もまた波だ。わたしの中に海があるのではと思う時もある。こっぱずかしいので言わないけれど。

 

羊水の中で育ち、この世に生まれ出て、いろんなめにあい、波を乗り越えたり波を起こしたりして、やがて歳をとり死ぬ。

できることならば、ほがらかに、自分のうちそとの波と付き合って、死にたい。

そう思う。