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まんなか

こころの真ん中に届くこと、書きたい。

当事者であること

生きていれば、いろんな目に遭う。

ある経験を通じて、当事者になったら、それまでの自分と違い、その経験について客観視したり安易に批判したり意見を述べることは難しくなるのではないだろうか。

もちろん人によると思うけれども、わたしはそうだ。口が重くなる。

 

当事者でもないのに、意見を述べるな、と言いたいわけではない。

それでも、もし自分だったら。と我が身に置き換えて考えてみることは大切だと思う。自分を棚にあげたり、安全圏におくことは、机上の空論を招くのではないだろうか。

 

わたしは、自分には起こらない、とか、自分は絶対にそんなことはしない、とか考えない方だ。

それは以前からからそうだったわけではなく、昔はむしろ、そう考えていた。

間違えないように、真面目に生きていれば、そんなに悪い目にはあわない、とかなんとなく信じていたのだ。

 

今はそれが間違いであることを知っている。

真面目に生きることは大事ではあるが、不運不遇な目にあう人は真面目でなかったのかといえば、そんなことはない。

それは、巡り合わせだ。ただの偶然だ。

そして、たとえ自分が間違わず真面目に生きたとしても、そうでない人を責めたり自分とは無関係な人だと思うのは傲慢で無知だと思う。

誰もが、間違う。自分は例外ではない。

全てにおいて真面目に考え、行動しているか?と問われれば決してそうではない。

 

間違わない人、真面目な人は、時として不寛容で冷酷な面がある。自分にもそういう面がある。

自分の主義主張にあわない生き方については、当事者にならないつもりでいるのだ。

そんなことはない。

わたしは間違うし、わたしは不真面目だ。そしていろんなことに、思いがけず当事者になる。

そうして初めて、自分の傲慢さと楽観と幼稚さに気づくのだ。

良くも悪くも、世界は可能性に満ちている。

棒に当たりつづける犬のようなわたしだけど、当たるたびに、少しはましになりたいなと願う。それには、もっと広く深く考えて、行動するしかないんだろうな。