*この写真は、ブライス人形の公式紹介写真をお借りしたものです。
ちょっとしたことで、印象が変わるなぁと思い転載しました。
恥を忍んで書きますが、わたしはXSからXLサイズ、日本サイズなら7号から17号、アメリカ、ユーロサイズで0から16の間を行き来したことがあります。
食いしん坊でお酒も甘いものも好きで運動は嫌い。仕事は朝から深夜まで。疲れたりイライラしたらとりあえず何か食べる。そんな生活をしていた頃、どんどん太り、仕事を辞めたら辞めたで人目を気にしないでいい生活になってさらに太った。それがXL&17号時代。
これではいかん!と意を決して食べたものと運動と体重の記録をつけ、食事制限と運動をして、3年かけて20キロ痩せた。
XSやサイズ0のスリムフィットジーンズが履けるようになり、トップスもものにより7号が着られるようになった。身長がまあまあ高く骨太なので華奢になるのは無理だったけど。
減量してわたしの見かけはかなり大幅に変わった。人に痩せたね!どうしたの?と言われ、ほめられたり羨ましがられたりした。もちろんわたしも嬉しかった。
大きいサイズコーナーや通販に頼らなくていい。ふらっと店に入り好きな服が着られる。避けていた服や髪型にチャレンジできる。太っているという劣等感に苛まれない。体だけでなく心も軽くなった。
その一方で、わたしは太っている人に対して辛辣になった自分を感じていた。自分よりも太っている人がひどく太っているように見えるようになったのだ。
自分が太っている時には普通とか痩せているように見えていたのに。そしてそういう人たちを意地悪な目で見ることや、気にすることはなかったのに。
どうして努力して痩せないの?そんな目で見るようになっていた。
わたしは強気になり、傲慢になり、嫌な奴になっていた。そしてその一方で、そんな自分にうんざりもしていた。痩せることがそんなに偉いのか?じゃあ元々痩せてて太らない人は一番偉いの?太ってるってそんなにいけない、ダメなことなの?
そんなわけないじゃん…
なんでそんなに人の目を気にしたり、人の見かけにいちいちうるさく思うようになったの?そんな人間になりたかったの?
そして、痩せたけど、それから先どうしたい?というのが、わたしには見えなくなっていた。
そして、太っていた頃のわたしをからかいバカにしていた人、痩せたことを一番ほめてほしかったひとは、わたしをほめてはくれなかった。
わたしはがっかりした。
痩せても嫌な奴になったらしょうがない。そして、わたしが太ろうが痩せようが、わたしが一番認めてほしかったひとには興味のない話だった。その人はただその時に言いたいことを言っただけなのだ。単にちょっといじめてみたかったのかもしれない。
あ、からかうとかいじめるとかは、相手がそうしたいからというのがほとんどだと思う。だから、そんな目にあっても悩まない方がいいよ!
この話は別に書こうと思います。
そしてわたし自身の根本的な性格、本質は、太っても痩せても変わらなかった。そりゃそうだ。
それからはじわじわとリバウンドして、MサイズになりLになりLLになり3Lになり、ダメだ!とまたがんばってLになりMになり…今現在はといえば、秘密。
レッドゾーンになったので減量中。
今年の夏はビキニの似合う体になって着る!(昨年は似合わなくて着られなかった。)
わたしはビキニが好き。痩せてる時も肥えてる時も。そのことだけは言っておく。(何様だ!?苦笑)
そして秋冬にはとっておいてあるサイズ0のお気に入りジーンズが履けるようになるつもりである。もし今年そうなれなかったら、来年でいい。焦りはしない。急いで痩せても健康を損ねたりまた太ったら意味がないから。わたしはわたしのベストな身体を模索して、時間がかかっても努力する。そしてその体になる。
しかしそれはそれとして、太っているとか痩せているとか、綺麗だとかそうじゃないとか、おしゃれだとかダサいとか、見かけを気にしすぎることはつまらないと思う。見かけは大事だけれど、所詮見かけにすぎない。その人の本質や価値は別にある。当たり前のこと。
健康状態と、自分自身に対するセルフイメージが、太っていることで悪くなってしまい、日々悲しくて俯いて生きているなら、痩せた方がいい。そうじゃないなら、そのままでいい。太ってようが痩せてようが、人としての価値や尊厳に何の関係もない。
他人に何を言われようが、いちいち気にしてもしょうがない。
そして、好みもまた人さまざまだ。痩せたら好かれるというわけでもない。痩せたら好かれて太ったら嫌いになるような人から好かれてもしょうがないんじゃないか、とわたしは思う。しかし好みばかりは如何ともしがたいので、痩せてる人が好きな人を好きになったら、まぁ痩せるしかないかもしれない。
わたしはイケメン興味なしなんだけど、美人興味なしという人もいるだろう。人が人のどういうところに魅かれるかは千差万別。こういう人は一般的に好かれやすい、という傾向や平均値を出すことはできても、わたしが好きになる人や、わたしを好きになる人が、それに当てはまるとは限らない。
死ぬまで生きなくてはならないから、自分の見かけと中身、好みとはずっとおつきあいしていくことになる。
自分が自分を一番知っているとは限らない。わたしは変化しながら、もっと自分を知りたい。そして自分をぴったりと一致させたい。望む自分に。自然に違和感なく。見かけも中身も好みも。年齢をきちんと重ねながら。こんなの自分じゃない、と思いながら生きたくはないのだ。
それはつまり生き方の問題になる。
まずは自分で自分を決めつけず、縛り付けず、人のことも決めつけず、縛り付けないようにしたい。
いろんな縛りから、固定観念から、自由になりたい。そう思う。